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大陽寺について


In olden times, when the gods used to live in the Mitsumine area, there was a secret place where Tengu, a legendary creature found in Japanese tradition, was said to live.


Bukkokukokushi, who opened this temple, was born in Kyoto as Emperor Gosaga's third son. At that time there were intense political struggles in Kyoto involving the imperial court as the Kamakura government was losing power.

Bukkokukokushi, who entered the Buddhist world at the age of 16 to avoid such conflicts, was seeking a place for training in peace in the eastern area, and at last he arrived in this valley where it was said that even the beast would not come.

Here he found a world completely unrelated to the fierce political feuds that was taking place in Kyoto and Kamakura.

 

A clear stream sound in the distance. Trees sprouting through the harsh winter. A sky full of stars whose time and space was completely distant from human's concept of time.

The wheel of nature turns with dignity despise not being noticed by men.

Here, he must have found a scene that seemed to have never entered the human world.
As he kept meditating in silence, he must have looked like a Tengu to the bandits and hunters passing by.

 

 As years went by and the Edo period started,  the belief in the power of mountains and of the temples and shrines that were in them became popular. As a result, the valley where people had feared a Tengu lived, prospered in a wave of unprecedented popularity.

 

The voice of the valley is the voice of Buddha.

The wilderness that spreads in front of me looks like a Buddha.

 

Bukkokukokushi’s words revert to the 21st century now.


太古の昔 神々の里、三峰のさらにその奥に、

             天狗が住むといわれた秘境があった


  時代は鎌倉時代末期から南北朝時代にむかう動乱の世


    当山開山仏国国師は後嵯峨天皇の第三皇子として京の都に生をうけられた。

    当時の京の都は鎌倉幕府の無力化とともに朝廷を巻き込んだ政権争いが

    にわかに激しさを増してきている時代であった。


    そうした争いを避けるかのように16歳の時仏門に入った国師は、遥か東国に

    修行の地を求め鎌倉建長寺にはいる。その後さらなる悟りの道を求めて獣も

    寄り付かぬといわれたこの渓谷にたどりついた。


    そこには、京の都や鎌倉を舞台にくりひろげられる激しい政権争いとは

    全く無縁の世界がひろがっていた。

        

           遠くには清流の音、厳しい冬を通り越して芽吹く木々、

               それらが育む鳥たちのさえずり。

         夜には満天の星たちが遥か数万光年の宇宙の時を刻む。

         誰に見られる為でもなく淡々と、しかし威厳に満ちた大自然。


ここでは、人間の世界にいることさえ、忘れてしまいそうな光景が広がっていたに違いない。


       黙々と座禅を続ける国師の姿は、山賊や猟師たちには天狗に映ったのだろうか。

    その後、天狗が住むと恐れられた渓谷は江戸時代には空前の山岳信仰の波に乗り

                   繁栄することになる。

            

              渓声即是黄長舌。山色豈非清浄心

          けいせいすなわちこれこうちょうぜつ
                  さんしょくあにしょうじょうしんあらざらんや

       二十一世紀の今、国師の言葉は七百年の時代を超えてよみがえる。





 





秩父千年ミュージアムの顔ともなっている天狗のお面
山中で黙々と座禅を組む国師であったがあまりの恐ろしい風貌に天狗に間違えられ恐れられていたという。しかし、国師がその時、師と崇めていた目の前に拡がる大自然。その胎内にいだかれながら座する時、そこに聞こえてくるのは小鳥の鳴き声であり、清流のせせらぎであったはず。  夜の満天の星空を見あげたとき、そこによぎったのは 自分が生まれ育った京の都だったのかもしれない。 そこでは、兄弟同士が権力とか利権といった人間が作りりあげた得体の知れない価値観によって殺しあっている。本当に怖いのは、この山の向こうの人間の世界なのかもしれない。

21世紀の現代でもいわゆる元老院的な思考をお持ちの立派な大人たちがつくりあげた利権とか特権とかいう訳のわからない価値観に適合できない若者が路頭に迷う時代。人間の作り上げた価値観に振り回されるほど愚かなことはない。

人間の世界と距離をとり続けた天狗が修行の床とした奥秩父の山中は、天狗の大功を観じその懐に森を育み、またその森は天狗の遺訓を歎じてきた。そして、今なお700年前と変わらぬ姿で我々にその教えを説き続けている。



神社の縁側

縁結びのご神木

子宝石
この石に座ると子が授かると云われている
 本尊は釈迦如来であり、大陽寺の阿閦如来は秩父十三仏霊場のひとつでもある。阿閦如来は密教では金剛界曼茶羅の四仏の一人として重要な地位を占めている。
 尊名の阿閦とは、サンスクリットのアクショーブヤの音写語で、揺るぎない・動じないなどの意味である。漢訳では無動仏・不動仏などと翻訳されている。ともすれば何につけ、すぐに諦め、長続きしない私たち。阿閦如来に祈るときにはその功徳によって、私たちが何事にも揺るぎない心と、怒りを離れた安楽な世界を得られるようにとお祈りをする。人々のもつ罪業を消滅する阿閦如来と心をひとつにしつつ。

冥界の法廷を表現したものといわれる閻魔堂

閻魔大王
県文化財指定の閻魔堂には江戸時代作の木造閻魔大王坐像を中心に十三体の仏像が安置されている。
仏国国師の教え

渓声即是黄長舌 山色豈非清浄心 
仏国国師の教えと大陽寺の座禅の心得
山奥の険しい洞窟で黙々と座禅を組むお師匠さんの身を案じて
何とか下界の立派なお寺に戻ってほしいと、あるお弟子さんがこう説得した。
「お師匠さん、こんな山奥で仏教を学ぼうと思っても、読むべき教本がないじゃないですか」
また、別のお弟子さんは、「こんな山奥で仏様を拝もうとしても拝むべき仏様がないじゃないですか」と。
「下界のお寺には沢山の経典と立派な仏様を用意して、
是非お師匠様に来てほしいと言っているところがあります。
是非そちらの方へ参りましょう」

それに対して国師は静かにこう答えた。
ここには学ぶための経典がないというが、本当にそうなのだろうか
自分の耳をよく澄ましてみなさい。
遠くには渓谷の声、近くには小鳥たちのさえずり
たしかに文字で書かれた教本はここにはない
だが、いま聞こえている声、こんなすばらしい教本はほかにあるだろうか

拝むべき仏像が無い。確かにそうだろう
だが、ここにそうした仏様が必要なのだろうか
目の前には、天にも届きそうな雄大な山々がそびえている
ここには下界の人間達が大切にしているような仏様はない
だがそのおかげで目の前の大自然や鳥たちの中にも
仏様が宿っていることを感じられではないか

お前たちは仏教、仏教といっているが
そんなに仏教が大切だったらお前たちだけでそのお寺に行けばいい。
ここには仏教とか宗教とか人間が作り上げたドロドロとした教団とかそうしたものを持ち込まないでくれ


大自然を先生にして、テキストとして学ぶ。
この教えは今でも大陽寺の座禅の根幹をなしている

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